気まぐれで我がままなアルペジオ

真面目に?ゆるゆると綴っていきます。 ほんのひと時でもごひいきを。

いじめられっ子(小学校編・その1)

小学校入学の前年に父が亡くなりました。

そのこともあって、入学したばかりの小学校も転校しました。

あえて回数は書きませんが、何回か転校しました。

暮れ近くに転校した小学校で、どうにか落ち着くことになりました。

・・・と、当時は子供心に安どしていたのでしょうが。

その小学校が“いじめられっ子”の始まりになるとは・・・。

 

どのくらい経ってからだったのかは定かではありません。

中学年(3~4年生)の頃だったでしょうか?

以前在籍していた小学校では、短さゆえにボロが出なかったのか?

いや、それだけが原因でもなかったのかもしれないけれど。

幸か不幸か、いじめられずに済んだように思います。

いじめっ子はどうやって私の家庭環境を嗅ぎつけてきたのやら?

いつ頃からか、彼らにとって美味しい鴨と化していたのでした。

そして、ガキ大将的存在の子をリーダーに、“○○○○を泣かせる会”を結成。

 ※○○○○→私のフルネーム。

その子(ジャイアンのような女の子)から誓約書?を見せられました。

彼らは、誓約書通りに私をいじめるのを生きがいとするようになりました。

私を鍛える為だとか、勝手に理屈をつけて。

メンバーの人数も含め、会の詳細はほとんど知りません。

“創立メンバー”は、5~6人くらいだったのかな?

クラス内だけでなく、同級生の大部分が加担していたのでしょう。

 

4年生で担任が変わった時、その担任も加わったような気がします。

それなりに実績のある、キャリア何とやらだったと思います。

優等生で要領のいい子がお気に入りでした。

(いじめっ子にも優等生が少なからずいたのは確かです)

ほど遠過ぎる私は、卒業までずっとひどい思いをしていました。

人格的には尊敬に値する人間ではなかったと思います。

 

前の担任は人柄的に悪くなかった、と思います。

でも、いじめられていたことはほとんど言っていなかったのです。

変わってからの担任は正反対でした。

いじめられるあなたが悪い、と言うタイプだったのです。

ますます言えなくなりました。

誰かの密告によるいじめっ子の報復が怖かったからです。

パワハラモラハラ、セクハラ・・・。

当時はそんな言葉はまだありませんでした。

今思えば、既に小学生時代当てはまることばかりの経験をしてきました。

子供だから許される、なんてものじゃありません。

クラスメート、学校友達、なんて称されるのは腹立たしいです。

兄は(表向きには)いじめられていなかったように見えたのだけど。

(その2へ続く)