在籍していた部では、何ゆえにだったのか、顧問の先生は2人でした。
そのうちの1人の先生の実家がお寺だったのです。
そのお寺で、7月下旬の数日間、合宿を行ないました。
練習場所は、畳数十畳分?の広いスペースのご宝前。
仏像数体が鎮座していました。
普段は法要や催しなどがある場所です。
私達は“彼ら”が見ている前で、練習したり食べたり寝たり、でした。
寝る時に男女のスペースを分けていたけれど、ほぼ雑魚寝状態。
合宿に関するスケジュールは、部員が主体で決めていた、と思います。
私が意見を出した記憶はほとんどありませんが。
・・・朝食のメニューで少しアイディアを出した、かな(記憶違いかも)?
あれは第1日目の夜、でした。
早朝練習があっても、早く寝るなんて面白くありません。
何人かがワイワイ楽しくやっていました。
私もその中に加わろうとしたのです。
すると、1人が――
「あなたは寝ていればいいの」と、私に言い放ったのです。
皆の視線が私に集まりました。
仲間に入れてもらえないなんて、遅くまで起きていても無駄です。
数日間は、さっさと寝ていました。
たかが、されど、と言われればそれまで。
決して勇気づけじゃない言葉でようやく気づいたのです。
私の可能性、これで終わったなぁ・・・。
ムードメーカーどころか「いつも皆の笑い者」でしかなかった私。
自分を変えようとあれこれやっていた、この数年間。
あの一件をきっかけに、馬鹿馬鹿しくなってやらなくなりました。
部に居づらくなってきて、翌年退部しました。
前後しますが――
高3の時、校内で合唱コンクールが行なわれました。
私が昔ピアノをやっていたことは、クラスでいくらかは知られていました。
ある男の子が、ニューミュージック系の曲の譜面を持ってきました。
それも、ギター譜面で。
超スタンダードなその曲にピアノ譜面がなかったのか?
もしそうだったら他の曲を選んでもらいたかったのに(怒)。
それとも、始めから嫌がらせが目的だったのでしょうか?
家での練習は、本当に困りました。
右手はメロディーを弾き、左手はアルペジオを。
ギターのアルペジオをピアノでやるのは、難し過ぎます。
指揮を務めたその男の子やクラスの面々は、協力的ではありませんでした。
教室での練習から本番まで、冷ややかに見られていたのです。
結果は覚えていないけれど、出来がひどかったのは確かでした。
ちなみに、その男の子。
高1の時、文集で私を揶揄するイラストを描いたのです。
全然似てないどころか、ひどかったです。
それに、当時精一杯に挨拶をしていたのを揶揄した“吹き出し”付きで。
イラストだけでなく、文面でも嫌がらせをしてきました。
挨拶だけでない、日頃の言動行動を揶揄した内容でした。
しかも、愛称の「○○ちゃん・・・」で。
原稿の段階で見せられた時、抗議しました。
でも、出来上がった文集を見て、ただただ唖然。
イラストも文章も削除されていませんでした。
文章の「○○ちゃん」の「○○」がイニシャル表記になっていただけで。
愛称であろうとイニシャルであろうと、私だと特定できる文章でした。
ふざけやがって、と内心思ってはいたけど、黙っていたのです。
ギター譜面や文集の件以外にも色々とありました。
その男の子には、学年が変わってもずっと馬鹿にされていたのでしょう。
またまた前後するけれど、高2の終わり近くの修学旅行。
修学旅行先の“定番”とされる九州・中国地方の某県でした。
その前のグループ分けでなかなか声がかからず、ポツンとしていました。
誰かが見かねたのか、それともお情けだったのか?
仕方なく入れてもらいました。
何日目かのスケジュールで、九州の某県でフリータイムがありました。
あらかじめ、全国的に有名な麺類を食べに行く予定を立てていました。
楽しみだったのに、何ゆえだったのか?
フリータイム自体が縮小or消滅してしまったのです。
本場で食べたかったのになぁ・・・。
修学旅行って、そんなものだったのでしょう、か???
高校3年間の日々はいったい何だったのか?
他の誰かだったら、楽しく思い出されたであろう数々の学校行事。
経験や記憶がなかったように思えてならないのです。