気まぐれで我がままなアルペジオ

真面目に?ゆるゆると綴っていきます。 ほんのひと時でもごひいきを。

短大卒業から数年後

20代初めの頃。

あるプライベートな出来事で、面倒なことになっていました。

緊急避難的に、県外の親戚宅に夏の2ヶ月間いたのでした。

その家は数年前に、伯母(母の姉)が娘夫婦一家と同居していました。

(娘=伯母の娘、兄と私にとっては従姉。)

心安らぐ、なんてとんでもなかったのです。

昔々のようにお説教を言われはしないか、と怯えていました。

 

両親を小さい時に亡くした母にとって、親代わりだった伯母。

私の何がそんなに気に入らなかったのか?

ある時から、兄に対する接し方とは違うようになりました。

横の線の間柄ではなく、縦の線の間柄だったかもしれません。

言いたい放題の関係ではなかったのです。

伯母にとってのお気に入りは、兄だったのでしょう。

出来が悪い子ほど可愛い、ではなかったです。

ある程度の年令になってからは、極力気をつけるようにはしましたが。

通じなかったのか合わなかったのか、威圧感で怖かったのです。

 

怯えながらの2ヶ月間、笑った記憶はほぼありません。

多過ぎてとても書けないけど、生活習慣に違和感を覚えました。

あの頃、従姉夫婦は毎晩の晩酌が欠かさなかったのです。

お酒はお酒でも、日本酒やビールではなく焼酎の水割り。

そしておつまみが数品、けっこうな量だったと思います。

飲んだり食べたりでしばらく時間が経ちました。

ようやく夫が「お食事にしましょうか」と。

 えぇっ!?晩酌って食事じゃなかったの?

 晩酌も食事のうちなんだけど・・・。

口に出そうものなら、伯母からの怖い怖い仕打ちを受けます。

協調性、なんてものじゃなく言わぬが何とやら、です。

私だったら、お酒はたしなむ程度。

おつまみを兼ねたおかずプラスご飯&みそ汁で十分です。

 

2ヶ月間の“避難生活”から帰宅した時、正直ホッとしました。

あの家での同居は御免こうむりたいな、と思いました。

その間、“面倒なこと”は解決への道がついていました。

私がいるとかえって厄介だったから、とか?。

 

ちなみに――

伯母は2000年代初めに、そして従姉の夫は数年前に。

それぞれ故人になりました。