この日、どういうことを考えていたんだろう・・・。
正輝パパの誕生日だった日の夕方から夜にかけて――
各TV番組で観たのは正輝パパと聖子ママに“抱かれた”沙也加ちゃん。
そう感じました。
パパとママのコメントは短かったけれど、偽らざる心境なんです。
我々の興味本位は時と場合によってゆゆしきものです。
興味を持つこと自体は悪くはないのだけど。
伝える立場の取材陣も、多くは人の親であり人の子。
良心を信じたいけれど、“○○砲”は果たして?
名前を聞くだけで腹立たしくなってきます。
自分達は民の声を代表しているんだ、と“○○砲”を放つ関係者。
“○○砲”だけでなく、マスコミって使命なのかどうか?
忖度や遠慮はなさそうです。
新聞の雑誌広告やネットニュースを見ると案の定、でした。
立場上仕方ない、と片付けられません。
パパ・ママや沙也加ちゃんに心安らかな生活をさせたくないのかな?
そっとしてほしい、と願っている時には刃を引っ込める勇気も必要、です。
会見翌日の「めざまし8」の、谷原章介氏のコメント。
人によって受け取り方があるでしょうが、私は大賛成です。
いつか語れる状況になった時に、たとえ会見でなくても、と思います。
遺されたブログを眺めて、沙也加ちゃんを偲ぶことにします。
機会があれば、楽曲も・・・。
―合掌―
どうか、沙也加ちゃんのブログが削除されませんように・・・。